今さらながらのように、“なぜ?”という設問が少ないと反省する。自動車の運転ではないが、“なぜ?”というところを飛ばして、“どのように”運転するかというところに没頭しがちだ。どんなものにも簡単に“なぜ?”が付けられる。
なぜ日本は相続税を上げるのか。なぜアメリカは遺産税(日本の相続税に相当)を廃止、もしくは下げるのか。なぜ、日本は法人の所得税を引き下げ、なぜ個人の所得税を引き上げるのか。そもそも、“なぜ”税金はあるのか。何でもなぜがつけられ、こうした設問にそれなりに合格点をもらう答えを書くことは大変難しい。
考えてみると、小学校や中学校で習い始めた算数や数学の公式を思い出す。とにかく、面積を出す、体積を出す何の公式でもよい。理屈はしっかり飲み込んでいるのかいないのかは不明のまま、言われるままに公式を無理にでも覚えようとする。無理にという精神的なバイアスがあるので、いつの間にかだんだん嫌になる。高校生になった時にはもう数学は悪夢そのものになっている。
論理の積み重ねが数学だとすれば、数学がわからない自分は論理が破たんしている。なぜ、毎年税金を払うのか。実に深遠な設問だ。理屈はいい、とにかく早く終わってくれと表面をなでる。確かに人生には税金以上に大切なものがたくさんあり、自分の時間は限られている。
なぜ毎年税金を払うのかという設問はわきに置き、とにかく税金を払う。30年、50年とこれを積み重ね、自動車で言うところの運転技術はうまくなろう。その人がなくなる。すると相続税が出てくる。なぜ、相続税を払うのだろう。毎年、税金を払ってきたではないか。
毎年、払っていた税金は過少だった。だから亡くなった時に修正申告をしているのだろうか。毎年払った税金は正しい。では、亡くなった時に税金をもう一度払うのは、二重課税じゃないのだろうか。いや、亡くなった人にはお金はいらないから、社会に戻すのが正しいからだろうか。なぜ、それが正しいのだろうか。
一生懸命努力をした人こそ、結果として富を蓄える。それを強制的に、国が吐き出させるのは一生懸命努力した人に対してだ。すると、努力をしたことに対してペナルテイを課すのが税金なのか。富める人から貧しい人に、国が強制的に富の再配分をすることが正しいと考える人もいるだろう。議論百出して自然科学のように一つの答えを論理的に出すことができない。
かくして、数学嫌いの子供ができるように、税金嫌いになるのだろうか。いや、論理がなくていろいろなことを考えられるのが、数学の世界とは対極なので、論理的でない人の方が税金に向いているのか。まあいろいろとありまして次のようになる。
アメリカ人は相続税をなくす、軽減するのがあるべきと考えている。
日本人は相続税を増税することがあるべきと考えている。
なぜ、違う方向を向いているのだろうか。