Sustainという単語は以前から今ひとつなじみがなく、どういう意味だろうと思いながらそのままになっていた。Sustainable economic growthとかというので、持続可能な経済成長だから持続できると言う意味なんだと思っていた。そしてある人がサステナビリティ(Sustainability)と日本語の中で使っていた。今ひとつわかりにくく、こんな言葉を日本語のなかでそのまま使うのではなく、誰にもわかる簡単な日本語でいってくれればよいのにと思った事がある。でもそれだけで、自分の中では消化されずにこの単語が残ったままだった。
今回の裁判で最も自分の頭の中に刻まれた言葉がSustainという言葉であった。判事殿が実に多くこの言葉を使うのである。何かムチで猛獣をぴしりと制圧するような感じで、”Sustained”とよく通る声でぴしゃりと言うのである。
弁護士が証人に証言をさせる。その証言をして自分に有利な事実を積み上げていく。そのために、証人に対して弁護士が質問を畳み掛けていく。すると、相手側の弁護士がその発言を妥当ではない(不利になる)と考えて、弁護士の質問に異議を唱える。“Objection”である。まさに異議ありと発言をブロックしようとする。このObjectionというのは法廷物の映画を見ると、いつも出てくる言葉なので特段目新しくはなかった。
とにかく、証言をブロックしようと、やたらとObjection, Objection, Objectionとやってよいわけである。すると判事殿が”Sustained”とか“Rejected”とか言う。Rejectは拒絶だから“だめ!”というのもすぐわかる。この”Sustained”とはその異議(発言を)を認めましたよと言うわけである。この言葉が自分には魔法の呪文のように聞こえる。猛獣をコントロールするムチのような言葉である。いったんこの言葉が判事殿から発せられると、誰も文句は言えない。それに従わなければいけない。
このSustainedという言葉が日に何十回も耳に飛び込んでくると、Sustainという言葉の意味がこういうことだったのかと身にしみて思い知らされる。弁護士はObjectionを多用し、判事殿はSustainedを多用する。判事殿の言葉の方が強いわけである。
日本でも女性の裁判官、裁判長がいるはずだ。でも日本は長いこと男社会である。女性、しかも30代の女性が裁判長で裁判を指揮すると言うのがどれくらいあるだろうか。日本はそうした若い女性裁判長が、堂々と権威を持って大きな声で裁判の進行をコントロールしていく社会だろうかと思わずにはいられなかった。
アメリカは世界中の人間からなる移民の国である。そういう人たちが、自分の生まれた国の常識、ものの考え方、価値観、行動様式、慣習などで行動すると、社会と言う枠組みの中に収まりがつかなくなる。そうした中で民主主義を貫くためには、どこかにルール、規律を設けなければ社会が持たないのだと思う。
日本はもともと日本人・日本語・日本文化・日本人の行動様式等でルールを見せ付けなくとも規律がうまく保たれている。あまりそうしたところに気を使わなくてもみんな日本人で同じように行動したのだと思う。男社会で、女性がルールにでることは少なく、言葉に出さなくとも阿吽の呼吸のなかで物事が進んでいける楽な国でもあるのだろう。
アメリカはそうはいかない。人種も言葉も慣習も何もかも隔たりのある人たちが、意志を通じさせるためには、大きな声で自分を主張しなくては理解をしてもらえない。皆がそれをやり始めると収拾がつかない。一つの社会の中に、そうした異質な人が入るため、強いコントロール(強権ではなく合理性が高い民主主義)がなければいけないと思える。
Sustainという単語はそうした強いコントロールの代表選手のように感じてしまった。
判事殿:審理では判事に対して皆、”Your honor”と言っている。“閣下”という敬称である。判事閣下では余りに大げさに聞こえるので、判事殿と書いている。
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